美しい日本文化を取り戻そう

日本文化の再認識へ (武田邦彦)

100年前の日本の風景

[以下は、中部大学教授・武田邦彦著「大麻ヒステリー」光文社刊より]

日本人の特性として、自分たちでは自国の文化のよさに気づかず、外からいわれて初めて気づくということがあります。
以下では、江戸時代末期に鎖国政策が終わったあと、日本を訪れた欧米人が見て感じた日本の素晴らしさを、いくつか紹介します。日本人が気づかない、日本文化の素晴らしさを再認識してもらえればと思います。

オールコック(イギリス初代駐日総領事)
「(日本が)封建領主の圧制的な支配で庶民が苦労し呻吟させられていると聞いていた。だが、これらの良く耕作された谷間を横切って、非常な豊かさのなかで所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きの良さそうな住民を見て、これが圧制に苦しみ、過酷な税金を取り立てられて窮乏している土地とはまったく信じられない。
むしろ、反対にヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向きの良い農民は居ないし、またこれほどまでに穏和で贈り物の豊富な風土はどこにもないという印象をもった。気楽な暮らしを送り、欲しいものも無ければ、余分なものもない」

カッテンディーケ(オランダ海軍の軍人)
「日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、奢侈贅沢に執着心をもたないことであって、非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。すなわち、大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない」

カッテンディーケは、日本の近代化に大きな役割を果たした人です。彼は、ベルサイユ宮殿に代表されるようなヨーロッパの王侯貴族の奢侈贅沢な暮らしと比べて、日本の殿様がいかに質素な暮らしをしているかということに驚いています。そういう暮らしは、ヨーロッパにないばかりでなく、中国やインドなど、他のアジアの国々にも見られないとしています。

ハリス(アメリカ初代駐日公使)
「彼らは皆よく肥え、身なりも良く、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者も居ない。
これがおそらく人民の本当の幸福の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増すことになるか、疑わしくなる」

よくいってくれたというのが私の正直な感想です。
日本は必死になって欧米の文化を学んできました。それも悪いことではないのですが、当の欧米人が、日本はそのままでいいのではないか、その方が優れているのではないかと疑問を呈しているのです。

アンペール(第二回スイス遣目使節団長)
「(日本でも)若干の大商人だけが、莫大な富を持っているくせに更に金儲けに夢中になっているのを除けば、普通の人々は生活のできる範囲で働き、生活を楽しむためにのみ生きていた。
労働それ自体が最も純粋で激しい情熱をかきたてる楽しみであった。職人は自分の作るものに情熱を傾けた。彼らには、その仕事にどれくらいの時間、どのぐらいの日数を要したかは問題ではない。彼らはその作品が売れるかどうかではなく、作品のできに満足できれば、仕事を切り上げたのである」

人間らしい働き方というのは、午後5時のチャイムが鴫ったら仕事が終わるというものではありません。自分の仕事は自分の満足で終わるものだったのです。
現代会社では、「従業員」は家畜のようなもので、精神的な活動は許されていません。その一つとして「地球環境を守るために、昼休みの電気を消す」などという奇妙な現象が見られます。人間は「食べるために働く」のであって「働くために、仕方なく食べる」という家畜のような存在ではないのです。こんなこと一つひとつが、ストレスになっているのでしょう。

リンダウ(第一回スイス遣日使節団長)
「火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、直ちに男の子か女の子が慌てて火鉢を持ってきてくれるのであった。私か家の中に入るやいなや、父親は私に腰をかけるように勧め、母親は丁寧に挨拶をして、お茶を出してくれる。
家族全員が私の周りに集まり、子供っぽい好奇心で私をジロジロ見るのだった。
……幾つかのボタンを与えると、子供達はすっかり喜ぶのだった。『大変ありがとう』と皆揃って何度も繰り返してお礼を言う。そして可愛い頭を下げて優しくほほえむのだったが、社会の下層階級の中でそんな態度に出会うのは、全くの驚きだった。私か遠ざかって行くと、道のはずれまで送ってくれて、ほとんど見えなくなってもまだ『さようなら、またみょうにち』と私に叫んでいる、あの友情のこもった声が聞こえるのである」

日本人の優しさがよく描写されています。「社会の下層階級の中でそんな態度に出会うのは、全くの驚きだった」というリンダウの感想は、日本に実質的な階級制度がなかったという記録とも整合的です。

モース(アメリカの動物学者)
「鍵を掛けぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りをしても、触っていけないものは決して手を触れぬ」

モースは明治2年に二枚貝の研究で日本にやってきた科学者です。私はこの文章がとても好きです。ここに描写されている子供は、お腹を減らしているでしょう。そして召使いは貧乏に違いありません。二人ともお金が欲しくてたまらないはずです。でも、人のものは人のもの、自分のものは自分のものなのです。

最後に女流旅行家、イライザーシッドモアに登場してもらいます。彼女は一八八四年からしばしば日本を訪れて日本各地の風景を描いています。
「日の輝く存の朝、大人の男も女も、子供らまで加わって海藻を採集し浜砂に拡げて干す。
……漁師のむすめ達が嬬をまるだしにして浜辺を歩き回る。藍色の木綿の布切れをあねさんかぶりにし、背中にカゴを背負っている。
子供らは泡立つ白波に立ち向かったりして戯れ、幼児は楽しそうに砂のうえで転げ回る。婦人達は海草の山を選別したり、ぬれねずみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。
暖かいお茶とご飯。そしておかずは細かくむしった魚である。こうした光景総てが陽気で美しい。だれも彼もこころ浮き浮きと嬉しそうだ」

美しい、江戸時代の終わりの日本が描写されます。

これらの描写に対して、同時期のヨーロッパの文化は、どのようなものだったのでしょうか?
幕末の日本とほぼ同時期のイギリスは、世界を制覇するほどの勢いを持っていました。しかし、多くの暮らし向きは悲惨でした。エングルスが『イギリスにおける労働者階級の状態』(1845年)でこう描いています。

「貧民には湿っぽい住宅が、即ち床から水があがってくる地下室が、天井から雨水が漏ってくる屋根裏部屋が与えられる。貧民は粗悪で、ぼろぼろになった、あるいはなりかけの衣服と、粗悪で混ぜものをした、消化の悪い食料が与えられる。
貧民は野獣のように追い立てられ、休息もやすらかな人生の楽しみも与えられない。貧民は性的享楽と飲酒の他には、いっさいの楽しみを奪われ、そのかわり毎日あらゆる精神力と体力とが完全に疲労してしまうまで酷使される」

※武田邦彦氏の公式サイト http://takedanet.com/

日本が世界に教えた事「日本人の様に振る舞え」 (テキサス親父)


テキサス親父ことテキサス州在住のトニー・マラーノさんが、米国カリフォルニア州グレンデール市に建てられた「慰安婦像」を撤去せよ!と言うホワイトハウスの請願を立ち上げ、この請願は2014年1月3日までに請願の受理に必要な10万人以上の署名が集まった。

●米国にあった慰安婦問題に決着をつける「決定的証拠」
http://texas-daddy.com/comfortwomen.html

日本のメディアが報道したがらないブータン国王発言